2007.11/02(Fri)

書の原点 王羲之 

王羲之 おうぎし 303-361

書の原点を象徴する存在の王羲之。真筆は現存しないとされ、模本などから類推して本姿を見ることができます。書聖二王(息子の王献之ともに)と呼ばれ、現在の日本の文字の標準形は彼の書体から延々と伝わっているとも言われます。

王羲之の生きた六朝時代以前の秦代、漢代では、書はもっぱら政治で使われる公式文書の中のものでした。それが六朝時代になり、もっと私的な場面での書の表現が生まれます。個人の喜怒哀楽を歌う「詩」という文学が誕生したからです。「詩」ひとつひとつにこめられた情感を書き表すのににふさわしい書の表現が求められるようになったのです。

ちょうど、この時代、書の世界では、草書、行書があらわれ、楷書も整ってきていました。王羲之は前代の字体を研究しつくし、また草書、行書を組み合わせて、大胆で優雅な特徴的な書体をつくりあげました。新しい書体の創出という意味で、王羲之は素晴らしい功績を残した人物です。

わたしが王羲之を偉大だと思ったのは、「書(文字)の表現に人間の内面や感情をもちこんだ最初の人」だということです。生きている人間の思想や感情を含めた森羅万象を表すための手段として、ときには目的として、書の無限の可能性を説いた人なのです。

のち、王羲之の書風、書体は大陸を渡って日本で受容され、浸透することになるのですが、そのことを示すエピソードが興味深く、また王羲之の影響力の大きさを感じさせます。

万葉集』の戯訓の話です。戯訓とは万葉集の用字法のことで、例えば「山上復有山」とあったら、「出」を表すような、遊技的・技巧的な表現のことです。
その戯訓の中に、本来、助動詞の「てし」を使うべきところに、「大王」や「羲之」という漢字が用いられているものがあります。これがどう王羲之とつながるか。
「てし」の「て」は「手=筆跡」。この「て=手=筆跡」が優れていて、「し=師=師範」とすべき人という意味である「手師」からの連想で「大王」「羲之」が用いられているのです。つまり、「手師(書のすぐれた人)」=「王羲之」という認識が、奈良時代の日本ですでに定着していたということです。

現在、王羲之の書体を眺めると、あまりに普通に感じますが、それは王羲之の書体が伝聞よりも平凡だということではなく、わたしたちが通常目にしている書体が王羲之の書体から受け継がれてきていて、見慣れているということです。
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